2012 年 5 月 18 日

ことばの日(No.423):石川 雅己

今日は五月十八日は、五(こ)十(と)八(ば)
の語呂合わせで「ことばの日」だ。

ことばは考え方や感情を伝えるための手段だが
「言い方」「口ぶり」「語気」などにより受け手は
様々な気持ちになる。
「言葉の綾」とはよく言ったものだと感心する。

ことばは海のように広範囲にわたることから
「言葉の海」とも言われている。
ことばは「心の分身」であり「立ち居を表す」ものだ。
その重みを改めて受け止め、日々心して歩んでいきたい。


2012 年 5 月 15 日

夢のかたち(No.422):石川 雅己

特技といえば、5分以内に熟睡すること。
普段はあまり夢を見ない私だが、なぜか最近
学生時代の勉強の夢をよく見る。

学校の勉強は嫌いで、特に語学は苦手だった。
2か年で単位を取るのに四苦八苦していた。
夢の中には、卒業直前まで英語の単位が取れず
煩悶している姿が映っている。
苦しんだことほど脳裏に焼きつき、様々な形や
姿で現れるものだ。

グローバル化の時代、何事を進めるにも
語学力は基本だと考えるようになった。
語学で苦労した学生時代の苦悩が
今、夢となって出てきたのかもしれない。
いかに夢が正直なものであるかを物語っている。


2012 年 5 月 12 日

未来からの使者(No.421):石川 雅己

毎年、こどもの日に発表される15歳未満の子どもの数は、
ショッキングなニュースとして受け止めざるを得ない。
今年の総人口に占める子どもの割合は13%で
31年間連続で減少した。
その比率は60年前(1950年)の35%と比べると
約3分の1になっているとのこと。

私は常々、子どもは「未来からの使者」だと考えている。
何処からか、その嘆きが聞こえてくるようだ。
・「もっと仲間をふやしてくれないとさびしいよ」
・「1000兆円の赤字が一人当たり約750万円の負担になる。
とても負担できないし、肩代わりは御免だ」
・「若者の非正規雇用・低収入では、理想的な家族形成は
益々遅くなるよ」と。

今こそ「未来からの使者」の嘆きに、現役世代が
スピード感をもって応えるべき時なのではないか。


2012 年 5 月 9 日

家ナカ(No.420):石川 雅己

ゴールデンウイークはどこへ行っても大混雑。
そこで家でのんびりしようと決め込み、どこにも出かけず
妻と駅ナカならぬ「家ナカ」の日々を送った。

ソファーに横たわり、テレビや新聞、読書三昧に明け暮れ、
たまに、夕食の材料を仕入れにデパ地下に妻と同行。
そこは、同じ思いの家族連れが多いらしく普段よりにぎやかだ。
私は、この買い物が食品価格の市場調査になると考えている。

夕食は、缶ビール一本を二人で分け、
買ってきた惣菜をつまんで質素に終わり。
高齢者にありがちな、早寝・早起きのゴールデンウイークも
瞬く間に過ぎ去ったが、いずれ、この「家ナカ生活」が
日常になる日も来るのだろうなとぼんやり思った。


2012 年 5 月 5 日

こどもの日(No.419):石川 雅己

5月は前半が「憲法記念日」「こどもの日」
そして、中旬に「母の日」と続く。

憲法の条文中には「現在及び将来の国民に
与えられる・・」や「すべて国民は・・」と
将来生まれてくる子どもも視野に入れている。
こどもの日は「こどもの人権を重んじ
こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日」が趣旨。
こどもの日から母の日への流れは絶妙だ。

私はこどもの日に決まって、相田みつをの書画を読む。
そこには、子育てに関するものに「子どもは未来からの使者」
「育てたように子は育つ」など、なるほどと頷ける言葉が沢山ある。
5月の一連の記念日を考えると、その意義深さを今更ながらに感じる。


2012 年 5 月 3 日

65歳の憲法(No.418):石川 雅己

日本国憲法は、65歳を迎え高齢者の仲間入りをした。
これまで一度も大手術ともいえる
改正を行わなかったことは世界でも珍しい。

我々戦前派にとって憲法とは、共に生きる
仲間のような存在ではないだろうか。
憲法は、読み手の立場や時代背景によって受け止め方が異なる。
しかし、常に未来を見つめ、やわらかな心が込められた条文は、
一貫した信念と時には新鮮な感覚さえ覚える。
これまで様々な解釈を受け止め、健康体を
保持してきたことに心から祝福を贈りたい。

現在、憲法の健康寿命を伸ばすために、
「治療や手術を」との声が寄せられる。
一方では「十分健康体だ」との意見もある。
いっその事「憲法」自身に問いたい気持ちになる。


2012 年 5 月 2 日

五月(No.417):石川 雅己

木々の緑がやわらかに感じる五月は
若葉や枝の成長が一段と勢いを増す。

年を取ったせいか体や頭が固くなり
「やわらか」という言葉が妙に貴重に思える。
植物のパワーに授かろうと
木々の傍で深呼吸をしてみた。
すると、「やわらかさは体や頭でなく心が大切。
いつまでも柔軟な心を持ち続けることが若さの秘訣」
と言っているように感じた。

老いは自らの心の内面から訪れるが、
青春は気持ちの持ちようでいつまでも
保ち続けることができるような気がした。


2012 年 4 月 29 日

「たね」パートⅢ(No.416):石川 雅己

ある西欧の思想家が「良い芽」と「悪い芽」の
例として次のように述べている。

少年が図書館への道のりが分からず途中で大人に訊ねた。
ところが、その大人は少年に誤った道を教えてしまった。
A少年は「間違った道を教えられた」と怒り、その大人を批判した。
B少年は「自分があらかじめよく調べておくべきだった。
もしかしたら、自分の訊ね方が悪かったのかもしれない」と反省した。
思想家曰わく「B少年のような人になってもらいたいものだ」と。

他人をあげつらい、批判を繰り返すことによって
自らの存在を誇示する人を散見する。
その態度を見ていると、子ども時代に「養分」の使われ方を
間違ったのではないかと思える。
似非批評家の心は、案外、寂しいのかもしれない。


2012 年 4 月 26 日

「たね」パートⅡ(No.415):石川 雅己

良い作物を育てるには、種をまく前に十分に畑を耕す。
肥料の与え方を間違えると、種は変形したり
腐ったりして「良い芽」は出ない。

親は子どもを立派な大人に育てようと、ためになる本や
正しい生活習慣などといった「養分」を与える。
これは子どもが自ら気付き、体で覚えるきっかけとなるものだ。
子どもとの過剰な関わりや極端な放任は、
忘れた頃に「悪い芽」となって現れる。

子どもの成長は、作物とよく似ていて成長過程はそれぞれ異なる。
また、育児とは「育自」であると思う。
親は子どもの自分育ちを、時間をかけて見守る余裕が欲しい。


2012 年 4 月 23 日

たね(No.414):石川 雅己

今日から「こども読書週間」が始まった。

相田みつをさんの書画に「たね」がある。
「種子さえ蒔いておけば いつかかならず芽が出る
よいたねにはよい芽が 悪い種子には悪い芽が
忘れたころに ちゃんと出てくる」

この詩は、子どもが成長過程でめぐり合う本を
「たね」に例えているように思えてならない。
本は、時には個人教授となり、知識の幅を広げ
時には心の支えとなり、行く先を示してくれる。

この「たね」に込められた思いを玩味し
ゴールデンウイークには読書という「種まき」をしたい。
そして、「よい芽」が出てくることを期待しよう。